マイコンや組み込み開発を続けていると、すぐにひとつの現実的な問いにぶつかります。2026 年になり、AI によるコーディング支援がかなり一般化してきた今、開発環境は結局どう選ぶのがよいのか、という問いです。
表面的にはこれは IDE 同士の比較に見えます。しかし実際に問われているのは別のことです。つまり、単に「プロジェクトを動かせる道具」が欲しいのか、それとも「既存エコシステム、コーディング体験、AI 協調」を両立できるワークフローが欲しいのか、ということです。
その観点で見ると、答えは Keil、STM32CubeIDE、VS Code、CLion のどれかひとつを選ぶことではなく、それぞれが得意な部分を組み直すことになりやすいです。
まず主な選択肢を見て、それぞれ何を解決しているのかを整理する
組み込み分野で長く見かける環境は、だいたい次のようなものです。
KeilSTM32CubeIDEVS CodeCLion
さらに遡れば IAR を挙げる人もいます。ただ、今の議論で重要なのは「誰が一番古くからあるか」ではなく、「今の開発現実に誰が一番合っているか」です。
Keil: エコシステムは強いが、編集体験は明らかに古い
Keil は今でも避けて通りにくい存在です。理由は単純で、とにかく使われているからです。
会社に残っている古いプロジェクト、オンライン上の教材、サンプルコード、共有されている既存資産の多くが、今でも Keil を中心に組まれています。ビルド、書き込み、デバッグという一連の流れも依然として成熟しており、とにかく基板を動かすことが最優先なら、非常に短い道筋で済みます。
その一方で、弱点もかなりはっきりしています。
- UI が古い
- 編集体験が平凡
- AI 支援コーディングの主戦場にはなりにくい
つまり Keil は、「プロジェクトの入口とデバッグ基盤」としては強いものの、2026 年の編集体験を担う理想的な環境とは言いにくいです。
STM32CubeIDE: STM32 には親切だが、どちらかといえば学習と立ち上げ向き
STM32 のエコシステムを主に使っているなら、STM32CubeIDE は最初に触れる環境になりやすいです。
長所は非常にわかりやすいです。
- 入門しやすい
- ペリフェラル設定やプロジェクト生成がしやすい
- デバッグ系の流れも比較的そろっている
学生や初心者、立ち上げフェーズのプロジェクトには十分に直感的です。
ただし、長期運用、チーム協業、より複雑なワークフローに入っていくと、徐々に限界が見えてきます。特に商用プロジェクトや重めのチーム開発では、必ずしも最も快適な主環境ではありません。
そのため、これは「すばやく始めるための環境」であって、長期的な主力エディタとは限りません。
VS Code: 厳密には IDE ではないが、AI 時代では優位性が増している
VS Code は厳密には従来型の IDE ではなく、拡張可能なコードエディタです。
だからこそ、最初から二面性があります。
弱点は次の通りです。
- プラグインや設定が必要
- 初心者にはあまり親切ではない
- 組み込み IDE の全工程をそのまま置き換えるわけではない
しかし、その同じ特徴がそのまま強みにもなります。
- 拡張性が高い
- 編集体験がかなり現代的
- ハイライト、ジャンプ、検索、リファクタリングが強い
- AI ツールや Agent ワークフローとの相性が良い
今や多くの開発者が欲しいのは、単に「コードが書けること」ではなく、「AI 協調を自然に入れられること」です。その意味で、VS Code の優位性はかなり明確です。
CLion: 体験は良いが、組み込みの主流ワークフローの中心ではない
CLion が話題に出ることはよくあります。C/C++ の編集体験が良いからです。
ただ、組み込み開発者にとって本当の問題は「良いか悪いか」より、「移る価値があるか」です。
- 組み込みでは利用者が比較的少ない
- 既存の組み込みエコシステムとの接続が
Keilほど直接的ではない - AI 協調という観点でも、
VS Codeより現実的な優位があるとは限らない
そのため、CLion は「理屈上はかなり良い選択肢」ではあっても、今の組み込み主流ワークフローの自然な中心とは言いにくいです。
より現実的な答え: ビルドとデバッグは Keil、日常のコーディングは VS Code
それぞれの道具を役割ごとに分けて考えると、かなり実務的な結論が見えてきます。
Keilには既存プロジェクト互換、ビルド、書き込み、デバッグを任せるVS Codeには日常のコーディング、検索、ジャンプ、AI 協調を任せる
この組み合わせの価値は、ひとつの道具ですべてをやろうとしない点にあります。それぞれを、本当に得意な位置に戻してあげるわけです。
多くの組み込み案件では、Keil のエコシステム自体を避けることができません。ならば、すべてを Keil に押し込めるより、Keil をビルド・デバッグのバックエンド入口と割り切り、実際の編集体験は VS Code に任せる方が自然です。
なぜこの組み合わせが AI 時代に向いているのか
今や環境の違いは、「エディタが気持ちよく使えるか」だけではありません。「AI を自然に接続できるか」が大きな分かれ目です。
VS Code にはこの点でかなり実務的な強みがあります。
- AI プラグインや Agent の動きが活発
- AI がプロジェクトを読み、変更するのに向いた閲覧体験
- 現代的なプラグイン群と組み合わせやすい
つまり、組み込み開発で面倒になりがちな作業の一部を AI に肩代わりさせやすくなります。
- 既存プロジェクト内の関数や呼び出し関係を探す
- 初期化コードを素早く生成する
- 簡単な UART 出力を足す
- 古いプロジェクト構造を説明させる
- 既存ファイルの一部だけを小さく直す
こうしたことは昔も不可能ではありませんでした。ただ、とにかくやりにくかったのです。VS Code の価値は、見た目がよいことではなく、AI 協調の作業台になりやすいことです。
重要な補助線: プラグインで VS Code と Keil プロジェクトをつなぐ
このワークフローが現実に機能するかどうかは、VS Code と Keil プロジェクトをつなげられるかにかかっています。
実用的な方向性のひとつは、VS Code から Keil のプロジェクト構造を読み取り、エディタ内部から Keil のバックエンドを呼び出して次のような操作を行えるようにすることです。
- プロジェクトを開く
- ビルドする
- 書き込む
そうすれば、日常のコーディングで二つの画面を行ったり来たりする必要が減ります。重いデバッグ、つまりステップ実行、ブレークポイント、レジスタ確認が必要なときだけ Keil に戻ればよくなります。
この種のプラグインの価値は、単に画面切り替えが減ることではありません。ワークフロー自体を途切れさせないことにあります。
C/C++ の基本プラグイン設定を軽視しない
VS Code を組み込みの主エディタとして使うなら、見落とされがちですが非常に重要な点があります。C/C++ の基本プラグインとプロジェクト索引をきちんと設定することです。
これが整っていないと、体験を壊す問題が次々に起きます。
- 定義ジャンプが効かない
- 赤線の誤検知が多い
- 補完の精度が低い
- ヘッダ関係が崩れる
この状態を見て、「やはり VS Code は組み込みに向かない」と判断してしまう人もいます。ですが実際には、プラグインと索引の接続が不十分なだけであることが少なくありません。
この部分がきちんと整えば、VS Code は大規模プロジェクトの読解、シンボル検索、AI を使った局所的なコード修正でかなり強さを発揮します。
このワークフローが特に向いている人
この組み合わせは、特に次のような人に向いていると思います。
1. すでに Keil ベースの資産が大量にある人
会社の案件、教材、過去コードがすべて Keil 中心なら、見た目を現代化したいだけでその資産を捨てる必要はありません。Keil を残し、VS Code を前段に足す方が、移行コストははるかに低いです。
2. AI に組み込みコードを手伝ってもらいたい人
関数の説明、ひな形コードの生成、局所ロジックの修正などを AI に任せたいなら、従来型の組み込み IDE より VS Code の方が自然にその役割を引き受けやすいです。
3. 学習資料と実案件の両方をつなぎたい人
学習資料は今でも Keil ベースのものが多いですが、自分の作業環境までその時代に留まる必要はありません。Keil を互換層、VS Code を生産性層として分けて考える方が、全体としてバランスが取れます。
結び
2026 年の組み込み開発環境で本当に問われているのは、「どの IDE が最も多機能か」ではなく、「どの組み合わせが今の仕事のしかたに最も合っているか」です。
素早く始めたいだけなら STM32CubeIDE には今でも価値があります。大量の既存資産を受け継ぐなら Keil は依然として避けられません。ですが、現代的な編集体験と AI 協調まで取り込みたいなら、より現実的な答えは次の形になりやすいです。
Keil にビルドとデバッグを任せ、VS Code にコードを書く仕事を任せる。
唯一の正解ではないとしても、今ある選択肢の中ではかなり無理の少ない答えだと思います。